札幌つくろ〜ぐ

〜Made in 札幌の可能性を探そう

札幌ならではの方法でものづくりをすべき理由

  札幌でものづくりを始めるに当たっては、まず製作の核となる拠点が存在し、その拠点の周囲に製作者たちのコミュニティが展開することが必要となるだろう。
 しかし、これだけでは初めに何点か販売することができたのち、長期的に事業の拡充を期待することは困難となる可能性が高い。
  つまり、このままでは生産者と消費者が完全に分断されてしまい、相互の協働が疎かになりやすい。このため、生産者の意識と消費者の意識が相互に検証されることのないまま、起業や商品政策が進行して行くことになってしまう。
   従って、私たちはより長期間の生産者と消費者との連携を意識して進めていかなくてはならないのだ。
  以上のとおり、札幌でのものつくりが広がって行くためには、生産の他に消費者が参画し、生産の範囲・質などの重要な部分にまで消費者が関与していかなくてはならない。
  この意味で消費者の存在は、まだまだ一定のブレゼンスを持つこととなる。

made in 札幌ということ

  私は札幌出身ではない。東京生れの埼玉・東京育ちである。その私が何度かの転職を経て、働く場として決めたのは札幌であった。
  私は以前札幌に転勤して5年ほど生活していたことがあった。その後、勤めていた会社を辞め、新たな生活の拠点としていたのは東京である。東京で10年ほど過ごしたあと、九州での生活を経て、札幌に引越した。
 
  私が札幌でモノやサービスをつくっていくということは、上記のような経緯がある程度意味を持っている。つまり、生活の場として何故東京や九州ではなく、札幌を選択したのかということである。

  もちろん東京の方が情報の多さ、人の多様さは群を抜いている。しかし、生活のし易さでは、東京はやはり地方都市にはかなわない。
  生活の場と仕事の場の近接性、地価の安さ(物価はほとんど変わらない)、時間がのんびりと流れていること、地場の新鮮な食材が豊富に安価に存在することなどなど。
  情報の豊富さはインターネットのお陰で地方にいてもそれほど不自由さは感じない。人の多様さはまだまだどうしようもないところがあるけれども、以前に比べれば面白い人達が地方都市にも集まる様になってきた様に思う。
  made in 札幌として何か特色のあるサービスやモノを生み出していくには、一方でインターネットのお陰で均一性を持ってきた機会や手段をりようしつつ利用しつつ、札幌に惹きつけられた理由を徹底的に考えることから始まる。

消費者と生産者との間

    広告や新製品に一喜一憂しているだけの、ただの消費者のままではいたくないと思う。情報に右往左往して、衝動に任せて消費を続けることはやめたい。
    そこで、有効な消費、地球に人に、地域や環境に優しい消費を目指す方向が出てくる。よりよい消費者となる動きである。エコな消費者としてスマートに行動することが意味を持つと考えるのである。
    さらに進めば消費動向の変化により、様々な社会問題も解決できるという立場もあるだろう。
    但し、消費者が社会を変えることができるようになるには、単に消費マインドを変えることだけでは無理である。消費による投票だけではやはり限界がある。
    だからと言って、自ら生産者となり、よりよいプロダクトを作るというのはハードルがかなり高い。昨今のメイカーズムーブメントで語られている文脈に普通の消費者は簡単には入って行くことは難しいだろう。
    そこで、これから語られるべきなのは、生産者と消費者が日常普通に接し、コミュニティを形成してコミュニケーションを取りながら、消費者が生産に積極的にコミットして行くことだ。つまり、消費者が生産をコントロールして、消費者が本当に必要なものを必要な限度で手に入れることができる環境をつくることができなくてはならない。
    これならば消費者は生産をするのではないから、ハードルは自分が生産者になるのと比較して著しく低くなる。そうなれば、多くの人が生産の現場に関与することができるようになるはずである。
  そして、この環境は人が必要な分だけ生産することになるので、少量、多品種、高付加価値が付いた製品を生み出す可能性がでてくる出てくる。
    そうなれば生活がより豊かになり、かつ生産の喜びが労働に生まれてくることも期待できる。
    私たちは今、この方向を目指すべきではないのだろうか。
    

海外での表現の自由の規制や市民に対する暴力行為とどう向き合うか(1)

 先日,内戦状態のシリア北部の都市アレッポで日本人のジャーナリストが政府軍の銃弾に倒れ死亡したとのニュースが流れていた。

 そして,ニュースをきっかけにこれまでは散発的に報道されていたシリアの内戦状態に関する情報及び解説がまとまって報じられるようになり,同国内の混乱,生活市民の生活状況の詳細が伝えられることになった。

 

 また,日本では余り報じられていないが,欧米ではロシアの女性3人組のパンクロックバンド「Pussy Riot」に関する事件が話題となっていた。

 

8月17日(ブルームバーグ):ロシアの裁判所は17日、ロシア正教の教会で2月にプーチン首相(当時)を批判するパフォーマンスを敢行し逮捕、起訴されていた女性パンクバンド「プッシーライオット」のメンバー3人に対し禁錮2年の判決を下した。宗教的な憎しみをあおり、暴徒的行為を働いたとしている。

マリナ・シロバ判事は「3人は意図的にスキャンダルを求め、教会の人々だけでなく社会全体を侮辱しようとした」とし、「正教徒をひどく侮辱した」と断じた。検察当局は禁錮3年を求刑していた。

欧米の各国政府はこの裁判を非難していたほか、マドンナやスティング、ポール・マッカートニーらのミュージシャンはメンバー3人を守るよう訴えていた。

  ロシアの女性パンクバンドに2年の禁錮刑-プーチン氏批判で - Bloomberg - http://goo.gl/OxFDY

 上記の記事にあるように,バンドがそのパフォーマンスを理由に逮捕勾留され,禁錮刑を受けるという内容であったため,様々さミュージシャンが声明を出していた。

 

「プッシー・ライオット」のメンバー3人宛てに書かれたマッカートニーさんの書簡は、「困難の時にあるあなた方を応援するために手紙を送ります」と始まり、「ロシア当局には、全市民に対する言論の自由の原則を支持してほしいと同時に、あなたたちの抗議行動に処罰が必要だと考えてほしくない。私はそう強く願っている」と続いた。

「文明社会では、他者を傷つけない限り、人々が意見を表明することを認めている。これは全ての社会において前進するための最良の方法だと私は信じている」

 P・マッカートニーさん、露「プッシー・ライオット」に手紙 判決直前 国際ニュース : AFPBB News - http://goo.gl/mLzvP

McCartney isn't the only celebrity who has voiced support. According to the Wall Street Journal , Madonna, Sting, Anthony Kiedis of the Red Hot Chili Peppers, Pete Townshend of The Who and Neil Tennant of the Pet Shop Boys have also issued a public statement for the group.


Paul McCartney the latest celebrity to support embattled Russian band Pussy Riot - National paul mccartney | Examiner.com - http://goo.gl/qNXzq

 さて,このような海外で起きている表現の自由に対する重大な規制や,政府や民兵による市民に対する暴力行為に対し,日本に住んでいる私たちはどのように向き合えばよいのだろうか。

 私達の人権が侵害されている例は上記の事例には留まらず,近時も様々な事件が頻発している。それらの事実に対し,私たちは外国の出来事だからと関心を向けることが少ないのはある意味当然である。経済問題や原発問題,領土問題など自分たちの問題にすら十分検討し対応できていないのに,外国の事実に対し何かすべきとは思わないというのが正直なところだろう。

 私はここで以上の問題に対し解答を出そうとは思わない。また,関心を向けない行為の是非を問うつもりもない。しかし,ちょっとここで考えてみたいと思う。

 長くなったので続きは明日書くこととするが,上記の海外の事実が日本人の私達に持つ意味,どのように向き合ったらよいか,検討したいと思う。

禅をしてみる

  私は、人がいいという健康法には飛びついてしまうたちだ。仕事術などもしかり。但し、やってみて自分に合わなければすぐにやめる。これも始めるのと同様に早い。
 
最近といっても2、3ヶ月は経つが、禅をしてみている。iPhoneアプリの「雲堂」のガイダンスに従って、1日15分程度、正に見よう見まねで素人的にやってるにすぎない。でも、これがいい。何となくかっこいいと感じているだけかもしれないが、15分すぎた後、心なしか頭がハッキリする感じがする。
 
おそらく本格的な禅からすると間違いだらけの方法でやっているのだろう。しかし、目をわずかに開けながら、フォームの維持を続けていると、頭の中が空っぽになるおもいがする。
 
今や毎日の生活に欠かせないものになっている。
 
さて、これからどうするべきか。正式な方法を学ぶべきなのか、それとも素人的な方法を続けて行くのがよいのか。
 
暫くは効果があるので、自分流で続けてみようか。
 
禅マインド ビギナーズ・マインド (サンガ新書)

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地域運営学校という制度があるとは知らなかった

コミュニティ・スクールというと,民間のフリースクールを考えてしまうが,法的には学校運営協議会制度により学校運営協議会を設置した学校を「コミュニティ・スクール」と言うそうだ(文部科学省 コミュニティ・スクールの詳細 http://goo.gl/bSzVf。)

 また,

コミュニティ・スクールは、小・中学校はもちろん、幼稚園や高等学校などの地域の公立学校に導入可能です。導入するかどうかは、学校、保護者や地域の皆さんの意向等を踏まえて、学校を設置する地方公共団体の教育委員会が決定します。

 コミュニティ・スクールについて:文部科学省 -http://goo.gl/mMIhL

とのことである。

 

 進まない地域運営学校の導入、閉鎖性の表れか (1/2ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ) - http://goo.gl/pexbi によると,

「コミュニティ・スクール(CS)」(地域運営学校)に指定された小中学校は、教育委員会に任命された地域住民ら10人程度からなる学校運営協議会を設置する。「学力を上げる」などの基本方針の了承や、運営や人事について校長や教委に意見を述べる権限が認められている。

 

 全国コミュニティ・スクール連絡協議会会長を務める東京都三鷹市教育長の貝ノ瀬滋氏は「子供の問題は複雑化しており、学校だけで対応するのは限界がある。地域住民の多様な価値観を学校教育の中に入れていくことで、学力向上やいじめ、不登校などの問題解決にもつながる」と話す。

 ただ、CSの指定は、各市町村教委の判断に委ねられている。文科省によると、4月1日時点で指定された公立小中高校などは昨年より394校増え、38都道府県の1183校。文科省は全小中学校での導入を促しているが、現在はわずか3・6%にとどまる。

 

 このような地域住民の多様な声を反映することが法的に可能であり,むしろ文部科学省は推奨政策としていることはいい意味での驚きであった。

 学校は単に校長の裁量権のなかで活動すべきではない。むしろ,学校は,地域住民の声を反映し,「地域の学校」としてコミュニティの核となる存在となるべきである。その意味で地域に開かれる可能性を有する同制度は今後広く普及をして欲しいと思う。

 そして,地域住民は児童,コミュニティを重視した意見を発信することで学校自体を地域のハブとして機能させて欲しいと考える。

 

採用だけが社会の価値観じゃないよ


会社の採用官の価値観だけが社会の価値観ではない。その背景にはもっと多様な価値観を持った人が溢れていて、様々な活動を行っている。

気を落とすことはない。いつかそういう人と出会って、別な価値観に触れることができるから。
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